憎まれた者だけが見る真実
牡羊座×「アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル」
今月の星座の気分を目覚めさせる一本の映画を肴に、あなたの魂を養うメッセージをお届けする星占い×映画レビュー。
今回取り上げる映画は「アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル」。
世界中を敵に回す経験とは、一体どんなものだろう? ブラックジョークのような、その顛末。
人生にはどうあっても自分自身でやり遂げるしかないことがある。
人を雇って代わってもらうことはできないし、その道を選ばないというチョイスもないようなこと。
例えば絶対入りたい学校の入試を受けることだったり、心底惚れた相手に想いを伝えることだったり、社員に給料を払うことだったり、大小様々人によって色々あり得る。
けれど、全人類共通のDo It Yourself、その最たるものは「生まれること」と「死ぬこと」だろう。
十二星座のはじまりを飾る牡羊座は、生命の誕生を象徴する。
まさに赤ちゃんのようにピュアでフレッシュな精神……というとスイートに聞こえるが、
それは「大人の目から見た」赤ちゃんの印象であって、どこか他人事な意見だ。
実際赤ん坊の発するエネルギーはもっと爆発的で熱く、必死。
そこには、誰にも肩代わりしてもらえない大仕事(生まれること、要求を満たすこと、生きること)をまさにやり抜こうとしている切実さがある。
2021年3月21日から4月19日、牡羊座のシーズン。
牡羊座生まれの人だけでなく、すべての人にとって燃え立つファイティングスピリットを思い出すシーズン。
闘争心とは穏やかじゃないけれど、「この世」というわけのわからない世界に新参者としてやってきたまだ柔い生命は、
生きるために自分の存在を全力で示さなければならない。
無視されるわけにはいかない。
それは、誰しもが経験する競争相手のいない戦いなのだ。
ファイティングスピリットは、たとえばこんな風に始まる。
ラジオから流れてくる音楽を聴いて、試合でシュートを決める選手を見て、大きな画用紙にとりどりの絵の具をのせてみて、
「自分のやるべきこと」に出会った子供が、気が狂ったようにそれに没頭する。
昼夜問わず、取り上げられても怒られても無視されても、同じ歌を歌い続け、サッカーボールを手放さず、家中の壁に絵を描く小さなモンスターのあまりの熱烈さに付き合いきれなくなった親は、
ついに折れてその子を音楽教室に、少年サッカーチームに、絵画クラブに連れていく。
そうして必要なサポートを、忙しい大人たちから力づくでもぎ取る。
「私らしい人生」を切り開く、記念すべき初勝利だ。
今日取り上げる映画の主人公の場合、それはフィギュアスケートだった。
主人公、そして実在の人物。92年アルベールビル、94年リレハンメルと二回のオリンピック(開催期間調整のためこのとき4年後ではなく2年後開催だった)に出場し、
伊藤みどりに次いで世界で二番目かつアメリカ女子では初めてトリプルアクセルに成功した天才スケーター。
トーニャ・ハーディング。
しかし彼女の名前は名声よりも、ライバル選手を“元夫の友人”が襲撃した「ナンシー・ケリガン襲撃事件」の容疑者としてのほうが有名だ。
疑惑の渦中の人として出場したオリンピックで、靴紐の不具合を、ジャッジ前の柵に足をドカッと乗せて訴えた姿は、中学生だった私も中継で見ていた。
その態度自体ふてぶてしく見えたし、疑惑とあいまって、いかにもガラの悪い「悪役」という印象だった。
トーニャ・ハーディングは演技を失敗してオリンピックを終え、
そして疑惑は謎のまま、次に日本のワイドショーで見たときには、彼女はボクシング選手に転身していた。
映画「アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル(原題:I, Tonya)」は事件から20年以上が過ぎて、改めて、当時の関係者のインタビューを元に、トーニャ・ハーディングの側からの視点で、彼女の栄光と転落の半生を再現したドキュメンタリーだ。
「事件」が起きるよりずっと前、彼女もまた小さな初勝利をもぎ取って、フィギュアスケーターとしての人生を始めた。
アメリカの貧しい田舎で生まれ、暴力が日常茶飯事の家庭環境で、それでも寝ても覚めてもスケートのことばかり話す4歳のトーニャの才能に気がついた母親は、彼女を望み通りスケートリンクに連れて行った。
トーニャを演じるのは「スーサイド・スクワッド」でハーレクイン役を演じたマーゴット・ロビー。
すばらしい再現と演技なので、ぜひそこも見ていただきたい。
さて、「今だからこそ明かされる真実。あの事件を別の視点から」的に、重々しく不穏なトーンで書いてみたものの、この映画、実はめちゃくちゃコメディなのだ。
え、ドキュメンタリーがコメディってどういうこと? と思うかもしれないが、本当にブラック・コメディなのだ。
少女トーニャは森でリス「とお友達になる」のではなく「を猟銃で撃って食料にする」のが日課。
お金持ちの子供ばかりのフィギュアスケート教室で、優雅さがないと言われ、「寂しい思いをしている」のではなく「家で剥いだリスの毛皮を接いだ、自作のコートを着て中指を立てる」。
“闘争心を引き出すため”に、母親のラヴォナはいつもトーニャを罵倒し、あたりまえのように殴りつけるが、
そんな環境に嫌気がさしたトーニャはやがてボーイフレンドの元へと家出する。そしてそこでも殴られる。
ホームセンターで働き、フォークリフトを運転し、溶接の仕事もし、お金がないから自分で衣装を縫って、プリンセスやフェアリーが舞う大会に出場する。
正直悲惨な状況なのだが、彼女自身がまったくへこたれないのも相まって全体的に悪い冗談のようなのだ。
ジャッジに直接文句を言いにいくくらいには気が強いし、業界に馴染んでいたとはいいがたいが、
それでもその環境から彼女はアメリカ女子初のトリプルアクセルジャンパーになり、世界選手権の女王にまでなった。
それがなぜ、彼女は「貧しさに負けず成功した天才スケーター」ではなく「ふてぶてしく狡猾な、どんなことをしても勝利を手に入れようとする悪役」になってしまったのだろうか?
というか実際に、このふたつにはどれほどの違いがあるのだろうか。
成功者のすべては聖なるもので、負け犬のすべては愚かなものだと、観客は思い込みたがるけれど。
善と悪は本当にそんなにキレイに切り分けられるだろうか。
誰かを「悪役」だと(あるいは「英雄」だと)決めつけやすくさせる物語がそこにあった場合、グレーは消え失せ、その人は白か黒かに塗り尽くされる。
たとえ本人は変わらなくても、周りからはそう見なされ、そう扱われる。
後戻りの効かない「あの事件」。
それを境にトーニャはバッドガールではなく本物の悪役になった。
人間よりもストーリーとして語られるようになってしまった。
あの事件。
トーニャは関わっていないと言い、FBIは襲撃計画を知っていたはずだと睨み、世界中のゴシップニュースが「悪い魔女」の登場に沸き立ったあの事件。
結局「世間の論調」が大して関心もないまま「確からしいストーリー」として信じたのは、不良フィギュアスケート選手がギャングの恋人に頼んでライバル選手をシメさせたという、三文芝居のような筋書きだった。
そんなことを実際に、オリンピック代表候補として選考されていた選手が画策し、命令するだろうか。
キャリアの絶頂、人生が掛かった大舞台の直前に?
(しかし、映画の中で語られる実際の顛末は、世間が信じた三文芝居以下の、衝撃的にアホらしい話だ。
ここがこの映画の恐ろしいところ。事実はコメディより奇なり、である。
興味のある人は是非、映画で確かめてみて欲しい)
さて、この映画はもちろんトーニャ・ハーディングの側からの視点を主軸に作られているので、
異論のある関係者もきっといるだろう。
トーニャの周りに暴力的な人々がいたのは事実だし、例えば少なくとも、彼らがオリンピックという大舞台を前に物騒なことを口走ったりするのを「どうでもいい、くだらない、勝手にやってれば」と気にも止めないくらいには、彼女もその環境に慣れていただろう。
何の罪もないナンシーが襲われ、怪我をしたのもまぎれもない事実だ。
でもひとつ言える。暴力が人間心理にとって許されざるタブーならば、幼少期からトーニャに振るわれ続けてきた暴力も、許されないはずなのでは?
だけど実際は、100回殴られた女の子が101回目にまた殴られても、誰も気にしない。
ウソみたいだけど、社会の正義にとっては、それがどう見えるかということのほうが重要なのだ。
冗談みたいな事件以上に、それを取り囲んでいる「この世」そのものがもっと冗談に思えてくること。
これぞ、ブラック・コメディの真骨頂である。
上質なお笑いは、観たあとにどこか哀愁を感じさせる。
人間の愚かなバカ騒ぎを世界の外側から見たような、物悲しい気分になるのだ。
子供は生まれてくる環境を選べない、とよく言う。
だけど劣悪な環境からでも成功し、尊敬された人もいる、と言われてしまえば、口をつぐむしかないような気分になる。
そんなことを言われても、なにも癒されないけれど。
トーニャの母親ラヴォナは乱暴な人だったが、それでも幼いトーニャをスケート教室に連れて行った。
彼女の情熱に、燃え上がるための燃料と最初の火花を与えた。
それはラヴォナなりの精一杯のサポートだったのかもしれない。
彼女自身、そう自己弁護している。
だとしたら、責めるべきは誰なんだろう。時代か、社会か、薄っぺらなメディアか、石を投げる野次馬か。
時折、誰しも、プライマル・スクリームから一歩も成長できていないのではないかと思うことすらある。
この世のすべてが壮大な茶番で、自分自身として生きるという、たったそれだけの原初の願いを、
バカみたいにくだらない理由で妨害してくるように思えるときには、とりわけ。
自分自身の人生を生きたかどうか。それは自分自身にしか分からない。
トーニャの場合はどうだろう。
苦しい環境で育ち、自分の才能に出会って、ほんのひととき華々しい頂点に昇りつめ、そして地に叩き落とされた。
彼女の本心は知る由もないが、映画のラスト、スケート協会を追放され、ボクサーに転身した彼女の描写に、私は妙にシンパシーを覚えた。
ドリス・デイの歌うメロウなジャズナンバー「Dream a Little Dream of me(私を夢みて)」をBGMに、パンチング・グローブで殴りかかる。殴られる。ダウンする。
血を吐き捨て、また立ち上がる。
こんなもんが、いったいなんだっての?
バカのふるった一発の暴力で、たったひとつ大切な才能を取り上げられた。
私もきっと、泣き崩れるより殴りたい。
簡単にひねりつぶせる無力なベイビーかもしれない。
未熟で、乱暴で、最初から称賛なんて似つかわしくなかったと言われるかもしれない。
それでもせめて絶叫するだろう。誰が否定しても、わたしは、実際に、ここにいるんだから。
今月の名作
「アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル」
2017年公開。
第90回 アカデミー賞® 、第75回 ゴールデングローブ賞®ともに助演女優賞受賞
ブルーレイ(¥4,700円+tax)、DVD(¥3,800円+tax)発売中
発売元:ショウゲート/販売元:ポニーキャニオン
©2017 Al Film Entertainment LLC
岡崎直子/元・大手出版社社員。社員編集者からフリーライター期間を通して雑誌・新聞・書籍等で主にファッション系記事を執筆。
同時に占い師として複数の雑誌で連載を経験。
現在はYouTube、note等での情報発信およびオンラインでの占星学クラス等を開催。
https://www.youtube.com/channel/UCkBYHQILkcdeel-0KD7jbAQ
https://note.com/naokookazaki
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